本堂・観音様 | お寺のみどころ | 三重県いなべ市の禅寺 聖宝寺
本堂・観音様

鳴谷山聖宝寺は本尊に千手観音を安置する、臨済宗妙心寺派の禅寺です。
元は平安朝初期の大同二年に、天台宗の開祖、伝教大師大和上によって開創されました。 織田信長の時代に員弁攻略があり、郡内の諸神社、諸仏閣が兵火によって焼尽した際に聖宝寺もその災厄を免れず焼失しました。
その後、徳川中期萬治二年に、禅の巨宗大円宝鑑師愚堂大住職によって再興されました。
御本尊 十一面千手観音菩薩
十一の顔と千の手ですべての人を苦悩から救うべく、天界からお召しになった仏様です。
平成22年4月10日に開山千二百年遠忌法要の際に御開帳を致しました。
33年に一度御開帳をしておりましたが、皆様からのご要望もあり、もみじ祭りの開催中に御開帳をはじめました。
言い伝えによりますと、伝教大師様が伊勢参りの途中この地にお立ち寄りになった折、疫病が流行、村人は苦しんでいる姿を見逃すわけにはいかないと、伝教大師様は、山にこもられてお勤めに励まれました。
そんなある朝、伝教大師様の前に十一面千手観音菩薩様が現れになり、この地に寺を建てて、信仰の場にせよと告げられました。そこで、当時この地を治めていた豪族にこの話をされ、村人たちの協力の下、聖宝寺を建立しました。 そして、お告げをされた、十一面千手観世音菩薩様を自らほられて安置した。と伝えられています。
しかし、戦国時代の戦火が聖宝寺にもおよびました。燃えさかる仏殿から、住職が命からがらこの十一面千手観世音菩薩様を持ち出し、里の畑に埋めて戦火から救いました。
時は経ち、里の人たちが聖宝寺のことを忘れかけていた頃、再び疫病が流行り、村人たちが困っていたとき、畑から黄金の輝くのを見つけた村人が掘り返すと十一面千手観世音菩薩様がお姿を現しになられました。
さっそく観音堂を作り、皆でお参りすると疫病が治ったと言うことです。
その観音堂が今の聖宝寺と言い伝えられています。現在の御本尊は、畑から掘り出されたため、金箔はなく下地のままになっております。