「百尺竿頭一歩を進む。」(無門関第46則)
無門関には48もの公案ー禅問答が無門慧開(むもんえかい)によって様々な語録から選ばれ、それぞれに漢詩と批評が付けられて、我が臨済宗では必ず使用されるテキストです。
この語の百尺は数値としての長さのことではなく、高い竿の先という意味で、長い修行で得られた悟りの極地のたとえです。しかし、いくら高い境地でも、そこに留まって安住していたら何のはたらきもありません。その悟りより、「さらに一歩、歩を進めよ」と言うことは、百尺の竿の先きから踏み出す、命をも投げ出して、衆生救済へ向かってこそ、悟りの意義があるのです。 いったんつかんだ安らいの境地、悟りの世界は大変居心地がいいものです。しかし、その居心地のよさで終わっていたら、悟らないのと同じで、何の悟りかというのです。
晴れた山の頂上は見晴らしもよく、気分もいいものです。しかし、そんなところで満足していてはなんの意義もありません。その素晴らしさを、さらに味わい深めてこそ、真の悟りです。
あなたもその場が居心地の良いところだったら、それに満足しないでください。もっと素晴らしい場があるはずです。また、こんなはずではないと疑問を感じていたら、その先には必ず心地よい場が、世界があります。その為には、飛んでみましょう。
とてつもない勇気が必要となりますが、その勇気は、何も考えずに行動すれば生まれてきます。
私も今年こそ飛びます。あなたも一緒に飛びましょうよ。「百尺竿頭一歩を進む」ですね。
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2013-2-8