悲しいなか、葬式を行います。
今まで、お経を詠まれた事のなさそうな方(若い方や子どもさん)が、私の声にあわせてお経を唱えてくださいます。
お経がハモると何故か心が震えてきます。
お経のウェーブが亡くなったペットさんを仏さんのエネルギーで包まれていきます。
そんな様子が本来の葬儀の姿なのですが。
(最近の人さんの葬儀が儀式儀礼化していて、無力感を感じることが多かったもので)
私の声にも力が入り過ぎて、思わず、声をからしてしまいます。
最後のお別れをしてもらい、火葬所に、ご家族に囲まれながら移動します。
一番かなしみか頂点になるのが、火葬炉にペットさんを納めて扉を閉じる時です。
しばらく、その場から離れられない方も。
泣き崩れられる方も。
煙と共に、悲しみが辺りを包みます。
ペットさんの体重によって火葬時間は変わりますが、一時間から一時間半位でお骨になります。
最後までいたいと、火葬所から離れられない方もおられます。
集骨の時には、ありし日の、ペットさんの様子をお尋ねすると、時に笑顔が見られる方も。
全ての方が笑顔になるわけではありませんが、お骨を見て、一つの区切りを感じられるのでしょう。
中には、骨壺を抱かれたまま、倒れこまれる方もおられます。
家族で集骨をしていただいた骨袋を持って、納骨堂でお勤めを終えると、一息つかれます。
何時もお帰りの際は門送させていただきます。
その時、振り替えって挨拶されたり、「ありがとうございました」とお声をかけていただくと、充実感が体を包みます。
動物供養をさせていただいて、本当に良かったと心から思う瞬間です。
「楽」とお見送りするとき、家族の方から笑顔が見えると、「楽」が何故か、「ミャオ」と鳴きます。