和尚のブログ

2013-8-18

坐禅の仕方ーその1

息は体の原点
 坐禅をする基本に「息を調え、体を調え、体を調え」とよく教えられる。その内の「息を整え」の内容を考察してみると、人々また萬物のすべてが呼吸をして生きているのであって、それぞれの肺機能に必要な酸素とか、その他の必要な養分を摂取しながら生きている限りこれを繰り返している。
 人間も呼吸が止まったら最後で「ご臨終です」となる。いくら頑張っても呼吸と心臓の気構は自分の意識で操作できないものであり、仮に、これが故障した場合でも機械により一時的に援助させる事もあり得るが、しれた期間で制約される。
 ありがたいことに何の練習も訓練もしなくても、無意識的にこの機能をとりそなえた身で、生まれさせているけれど、その有り難さに気づかない。
 よく植物人間と言うことを聞くことがあるが、これは脳細胞の機能が停止して意識がない状態で、心肺作用だけ作動している場合を言うのであって、これが逆の場合は完全なる死を意味する。
 だから、生きることに呼吸が如何に大切なことかは言うまでもない。「息」という字を解体すると「自分の自(己)」と「心」とが合体したもので、息を整える事かとは自分の「心」をもう一度見つめ直して整理整頓する地迂回しゃくも出来る。
 そんな視点から、自分を見る他の自分から見てみると、不思議とおもしろい自分を発見することができる。
 何でも自分中心として見る自分、一時的な気分で人を傷つけている自分、人には施しがらない自分、自分を第一に守る自分等と周囲から欠点だらけの己が見えてくる。
 恥ずかしい限りである。
 けれどこれを、くつがえして無欲の自分になったら、仏の身になれるかもしれないが、それは無理である。
 しかし、そんなことに視点をおくのも世渡りをする上には大切なことだし、手直しできることは、少しでもせな仲間はずれになって行くだろう。
 毎日が右往左往、また失敗もし、ベソをかき何時とも知れぬ自分の寿命の尽きるまで、自分の主張を前に出し生きてゆくのが、人間の本能でもあり、正直な姿とも言えましょう。

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