今日、朝、近所の人から℡がありました。
「飼っていた猫が死んだので、お経を唱えに来てくださいませんか。」
急いで、支度をして、そのおうちに。
猫ちゃんは、寝ているように静かによこたわっていました。
死因は尿が出なくなって衰弱したとのこと。
日曜日に動物病院を探して、みてもらったそうですが。
根本的治療は無理、といわれて、一応尿はぬいてもらいち楽になった様子だったとか。
箱に入れて、花で飾ってあげました。
人間の葬儀に順次行っていきました。
引導法語も唱え、「喝」。
焼香をしてもらい、庭の隅に埋葬。
家族の涙で送りました。
帰り道に猫の死骸が道路に。
交通事故です。
人がひかれると、交通事故となりますが、動物がひかれても何の罪には成りません。
そして、死骸はゴミ扱いです。
私は、内臓破裂のその死骸を車に積んで、寺に。
裏庭にある、動物霊園に穴を掘って、読経して埋葬しました。
参列者はなく、なく人もなく、ただ、お山は泣いてました。雨です。
同じ猫でも、飼い猫と野良猫という生き方が違っただけで、死んだときの姿も違ってくる。
同じ命なのに、扱いが違うのは何故。
たぶん、猫をひいた運転手は振動でひいたことは分かっているはず。
なのにそのまま。
私はどちらも同じ命として読経させてもらいました。
猫という命は同じですが、対する人が違うだけで、こんなに差が出来てしまいます。
大阪の通り魔事件に色々言う前に、今、ここにある命をどのように尊重するか。
それが大切です。
もう一度、周りの命を見つめてください。
お願いします!